中途半端な信仰で大丈夫

このページの内容は、私 ( 倉橋 ) 個人の想いです。

同じ天理教の教会でも、似たような考えの教会から、まったく異なる考えの教会まであります。

あらかじめ、ご了解のうえ、お読みください。

「なんでこんなこと、しているんですか?」


教会に相談に来た人から、よく聞かれる質問です。

入信とかどうでもよくて、中途半端な信仰でもいいから

自分自身で身につけた信仰の力で


いまここで、生きていることが、うれしい


と感じられる人が増えれば、この世の中は

きっといまより良くなると信じています

今の社会は、医療技術の進歩や、社会福祉の充実といった視点から見れば、昔に比べれば、ずっと良くなってきています。

それでも鬱や適応障害といった心の病を患う人も多く、不登校や引きこもりの問題をかかえている人もたくさんいます。

ガンも、治療できる病気になってきたとはいえ、それでも、時に再発・転移に対して強い不安につきまとわれます。

また、長寿があたり前の社会、死が身近でなくなった社会ゆえに、突然の身内の死を経験した家族は、その死を受け入れるかどうかの迷いを抱えたまま生きています。


いつもではない、いつもではないけれど、決して忘れることのできない思いを抱えたまま人は生きています。


そんな人生でも、中途半端な信仰でもいいから、自分自身で身につけた信仰の力で


いまここで、生きていることが、うれしい


と感じられる人が増えれば、きっとこの世の中は、もっと良くなると信じているからです。

そんなことを願いながら、声をかけ、話を聞いています。


ちなみに「入信せずに気軽に宗教と付き合う」ことを

「中途半端な信仰」と表現しています。


大きい声では言えませんが、信仰なんて、まじめにやったら息苦しいだけです。

では、どうしたら「中途半端な信仰」ができるか、ここから説明していきます。

中途半端な信仰のキーワード

信仰心は無くても大丈夫

無理に信じる必要はない

教えはつまみ食いで十分

いいとこどりで問題ない

宗教はうさん臭い


そうは言ってもやっぱり宗教はうさん臭いと言われるものです。

その宗教がうさん臭い理由を、すこしだけ歴史を振り返って解説しみましょう。


・だいたい明治くらいまでは

宗教の儀式は、もともと地域や国を治める手段の一つでした。

その地域や国の権力者が信じる宗教、または統治に都合が良い宗教が選ばれていた時代で、

だいたい明治の時代くらいまで続いていました。


・明治以降は

明治以降、国や地域が法律によって治められるようになると

統治としての宗教から、一族の先祖を祀る宗教と役割が変わり、

一族の代表が選んだ宗教を信心し、近年まで続いている習慣となっています。


・最近は

最近は核家族化により、一族の先祖を祀るという宗教の役割が低下し

また、高度経済成長や科学技術の発展という時代背景に加えて、

90年代に起きた一連の宗教団体がかかわる事件によって

一気に宗教離れが進みました。


・宗教離れというより教団離れ

一方で、年始の初詣の増加だけでなく、一時期のスピリチュアルの流行だったり、

最近は、坊主バーやお坊さん便といった新しい宗教とのかかわり方も出てきました。


現在は、宗教離れというより、宗教団体離れと言って良いと思います。


本来、人がもともと持っている宗教性に対して、

教団側が提供する古い信仰体系が合わなくなった結果だと考えます。


・なぜ、宗教はうさん臭いか

むかしから、うさん臭いんです。

ごめんなさい。歴史を振り返ろうがどうしようが、宗教は元からうさん臭いんです。

非科学だし、よくわからないし、目に見えないものを信じろというわけですから。


ただ、自分自身で選ぶ必要がなかった

権力者や一族の代表が選んだ宗教を信仰していればよかった。

最近でも、親の葬式で葬儀屋が呼んだ坊さんが、たまたま○○宗だったから、

うちは○○宗になった、という話を聞いたことがあります。


それでも、自分のもつ宗教性に応えるために、

自分でなにかしらの宗教を選ばなければならなくなった。

うさん臭い宗教を自分で選ばなければならなくなったのです。


それで、せめて宗教団体につながらずに済む方法で、初詣や坊主バー、お坊さん便が

選ばれているのです。


・宗教団体側は?

選ばれる宗教側は、どうしていいのか戸惑っているのが現実です。

だから、古いやり方で布教し、古いやり方で入信をすすめるのです。

この場合の、入信とは集団に加わることを意味します。


さらに、伝える側も宗教がうさん臭いのは十分認識していて、

説明するときに、うさん臭さをぬこうとして、余計うさん臭くなるんです。

たとえば、「有名人もやってるから、うさんく臭くないよ」とか、

イタい説明になったりするんです。残念ですね。

私の残念すぎる失敗


そういう私も宗教団体に属する人間です。

私も、例外なく残念な失敗を繰り返してきました。

お恥ずかしいですが、簡単に紹介します。


・うさん臭さを気にしすぎて失敗

仕事先の人と飲みに行ったときに、一緒にいた女性から

「天理教の教えってどんなの?」と聞かれました。

うさん臭くならないように説明しなきゃと、もう気になって、気になって、

結局、何も答えられないまま、話が次の話題へいってしまいました。


・前のめりになって失敗

教会へ初めて相談に来た人がいました。

最初は私のほうが話を聞いていたのですが、後半から

この人に、また来てもらえるよう、あれこれ提案しすぎてドン引きされました。

もう次に来ることは、当然ありません。


・伝える言葉を持っていなくて失敗

病気を抱えている人で、いくらか宗教にも理解があり、話を聞いてもらえそうでした。

そこで、頑張っていろいろと話をしようとしましたが、結局、自分が天理教の説明に終始し、

完全に上滑りしました。

ちなみに信仰の力の得る方法とは

私の恥ずかしい失敗談は、あとで回収しますので、いったん忘れてください。

「中途半端な信仰」の話にもどります。


・そもそも信仰の力とは

事実をどのように受け止めるかの、マインドセットです。

いまここで、生きていることが、うれしい

そう思えるだけのマインドセットでしかない、そのくらいの割り切りがちょうど良いのです。


・必要なのは、知識 と 動作 と 思考

知識とは、その宗教の教えそのものです。

動作とは、単純な動作の繰り返しだったり、動かないという動作も含みます。

思考とは、動作の中で得た知識を繰り返し思考する、思考を消す場合も含みます。


大事なのは、この「知識と動作と思考」の手助けをしてくれる宗教者を、自分の目で選べるようになること

失敗しない宗教者の選び方

・まず探すには

ネットで探しても、観光名所の神社仏閣か、教団批判のブログくらいしか見つかりません。

自分で探して確かめるのが一番確実です。

でも、そんなとこ、どこにあるんだと思いますか?

じつは、お寺や神社、教会と言った宗教施設は、全国に20万か所以上あります。

これは人口が1万人いれば、18か所の宗教施設があるということです。

Googelマップで知っている教団名を入れればすぐに見つかると思います。

私が伝えるのも微妙ですが、天理教以外であれば、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗あたりが馴染みやすいと思います。

・いつ探すか

聞いてほしい内容があれば、理由はなんでもいいんです。

      • この後悔は一生涯、消えないなと感じた時
      • 死を受け入れること自体に、迷い悩んだ時
      • 意識していないのに、涙が流れた落ちた時
      • 本当はちがう、自分の嘘の笑顔に疲れた時
      • 笑顔でいたいのに今日も怒って後悔した時

だけど、ひとつだけ絶対に必要な条件があります。

「でも自分は、まだ大丈夫だ」と思える時

まだ大丈夫と思えるだけの余裕がないと、一カ所目が運悪くダメな所だと、他に行けなくなってしまいます。


・話しをするならどうするか

1.人生の勉強と割り切る

宗教ろ関わることは、どんな状況であっても、やはり勇気がいることでしょう。

これも、人生の勉強のひとつだ、ぐらいに割り切っておきましょう。

2.勧誘はあると割り切る

勧誘も絶対にあると割り切っておきましょう。

実際は宗教側が戸惑っているので、微妙な勧誘がほとんどでしょう。

たまに、すごい所もあるようですが、そんな時は「この後、予定があるんで」と言ってさっさと退散してください。

3.自分の話を聞いてもらう

世の中にはいろんな人がいます。宗教に関わる人達もおなじです。

聞いてくれるかどうかで、その人を判断できます。

4.つまり、教えではなく人を見る

その宗教の教えより、その教えを伝えてくれる人のほうが大切です。

あなたの話を聞いてくれる人がどういう人なのかを見てください。


・こんなところは、やめたほうが良い

    • そもそも一対一で話を聞いてもらえない
    • 説教臭いうえに話が鼻につく
    • 勧誘がしつこい
    • ○○しなければ、××になると、不安にさせる
    • 自分と相性が良くなさそう

本当に必要なたったひとつの事


いろいろ失敗しない選び方を列挙しましたが


実は

割り切って自分の話を聞いてもらう

それだけです。


なぜなら、私が失敗した例を思い出してください。

相手が勝手に残念な失敗をするんです。


もう一度、言います。

相手が勝手に残念な失敗をするんです。


残念な失敗をしたところにはいかなければ良いのです。

少し間をおいて別の所を探せば良いのです。


もし、電話がかかってきたら、

「ごめんなさい。話聞いてもらったけど、やっぱり行きません」

これで、すみます。

どういう関係でいたいか


・中途半端か、どっぷりつかりたいか

宗教には儀式や行事が意外とたくさんあります、

やってる内容は、どこもだいたい似たようなですので、どんな感じのものがあるか、自分の距離感にあうか、判断材料を、事前に知っておくと良いでしょう。


・入信せずに気軽な関係なら

    • 年に1~2度の特別な宗教儀式
    • 話を聞くだけの講座や法話会
    • 子どもでも楽しめそうなイベントもの


・どっぷりつかりたければどうぞ

    • 毎週、毎月など定期的な宗教儀式
    • 自分が話す必要がある研修会や講習会
    • 資格取得や布教活動に関わるもの


最後に「中途半端な信仰」で

宗教に向き合う4つの姿勢


・信仰心は無くても大丈夫

・無理に信じる必要はない

・教えはつまみ食いで十分

・いいとこどりで問題ない



なぜなら、私がそうだから


このことは内緒です。