ウソをつかないって難しいよね、という話です。

どの宗教にも「ウソはいけません」という教えが入っています。
道徳的にもウソはいけないことになっていますよね。
たとえば「ウソは泥棒の始まり」という、ことわざがあります。
いっぽうでウソを許容する「ウソも方便」ということわざもあります。
ちなみに「方便」は仏教用語だそうです。
天理教では「神さま、ウソは嫌いだよ」という捉え方です。
話がそれますが、天理教の神様が伝えた内容は「おふでさき」という書物に書かれています。
この普通にはなじみのない「おふでさき」という言葉が、毎日新聞のクロスワードに採用されたことがあります。
見つけたときは、こちらが驚きました。
話を戻すと、「神さま、ウソは嫌いだよ」は「神の話をウソと思うな」という意味です。
(諸説あります)
でも、神様の話をウソと思わないのは結構難しいんです。
理屈で理解しようとすればするほど、ウソに思えてきます。
個人的には理解することをあきらめて「ふ~ん」という受け止め方をするようにしています。
そんなのでいいのか、と叱られそうですが、「ふ~ん」という受け止め方にたいして、
怒るようなチンケな神様じゃないと、私は信じているので、たぶん大丈夫です。
ようは、信仰を理解するのは難しいと言いたかっただけです。
今日のまとめ
チンケな神様じゃないよ