坊主丸儲け、という話...じゃないです。


 

宗教的理由で出すお金のことを、仏教では「お布施」、キリスト教では「献金」と言います。(たぶん)

天理教では「お供え」と呼んでいます。

 

 


 

宗教者は、みなさんから出していただいた「お供え」や「お布施」で生活しています。

他にも、神社なら「氏子費」やお祭りの時の「奉納金」、規模の大きい有名寺院では「拝観料」などがあります。

土地を持っている寺院では、駐車場やアパートなどの家賃収入が入るところもあります。

うちにはないので、正直うらやましいです...

 


 

ところで宗教にかかわる収入だけで運営できるところは、年々減少してきています。

実際、宗教施設の4割が、宗教的収入300万未満という報道がありました。

ある大学院の研究者によると、その割合はさらに大きく7割近くになる、なんて調査結果もあります。

宗教的収入が300万未満とうことは、一人でやっていくなら、ギリギリなんとかなるかもしれません。

しかし、家族を養うとなると、とても厳しい数字です。

 


 

いま、そのような状況なので、兼業農家ならぬ、兼業宗教者が増えている事実があります。

Googleで「兼業住職」や「兼業神主」で検索してみてください。 → 検索

 

私の周りにも働いている仲間が何人もいますし、そもそも私自身も兼業教会長です。

 


 

いっぽうで、お金にたいしては、信仰的な意味合いを持たせることがあります。

そのためか、仲間内では「お供えって言わなきゃいけないんだろうけど、なかなか言えないよぉ、やっぱり」

という嘆きを聞きます。

この辺は、たぶん天理教の若手教会長あるあるです。

真面目な人ほど悩むみたいです。

 


 

私はなんとなくイヤだから言ってません。

そのせいでしょうかか、いまだにお金の扱いに慣れていません。

例えば「お供え」や「お礼」を直接手渡されると、どういう顔が正解かわからなくなるんです。

きっと変な顔になっています。

変な顔を見たい人は、私にお供えを渡してもいいですけど(^^)

 

ようは、「お供え」や「お礼」は、賽銭箱に直接入れてって言いたかっただけです。

 

今日のまとめ

 

同情するなら金をくれ!