教会長のほぼ週刊ブログ

目に見える世界、心に映る世界

こんにちは。教会長の倉橋です。

教会では「会長さん」と呼んでくださいね🙏

 


 

天理教の教典にこんな一節があります。

 

 

見えるまま、聞えるままの世界に変りはなくとも、心に映る世界が変り、今まで苦しみの世と思われたのが、ひとえに、楽しみの世と悟られて来る。

 

 

教えを少し理解できるようになると、こういう受け取り方ができるようになるよ、と書かれています。

 

 

『見えるまま、聞えるままの世界に変りはなくとも』

 

現実は何も変わらなくても、ということです。

 

 

『心に映る世界が変り』

 

教えを理解することで自分の受け取り方が変わった結果です。

自分の受け取り方が変わったから、世界の見え方が変わってくる、と言っています。

 

世界の見え方がどう変わるか。

 

 

『苦しみの世と思われたのが、楽しみの世と悟られてくる』

 

 

『苦しみの世』と書いてありますが、いまの言葉に合わせるなら、「ため息や不安が混じる人生」といったところでしょう。

 

『楽しみの世』これは、いま現在の生活が楽しくなるという意味ではありません。

「将来が楽しみな人生」といった感じです。

 

 

 

見えるまま、聞えるままの世界に変りはなくとも、心に映る世界が変り、今まで苦しみの世と思われたのが、ひとえに、楽しみの世と悟られて来る。

 

 

 

分かりやすく言うと

 

 

信仰をわかり始めたなら、たとえ現実は何も変わらなくても、自分の受け取り方が変わってきます。

受け取り方が変わったなら、ため息や不安が多いと思われていた人生が、将来が楽しみな人生と、悟れるようになりますよ。

 

 

 

天理教の最初の救いはここから始まります。

 

奇跡的なことではありません。

 

まずは自分の心の受け取り方が変わるんです。

 

自分の心がなぜ変わるのか、どう変わるのか。

そして「楽しみの世と悟る」とは、なにをどう悟るのか。

 

それを教えの中で説いています。

 


 

天理教の話を聞きに来てみませんか?

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