「先生」って便利な言葉なんだよ、という話です。


 

天理教のことをあまり知らない人から見ると、天理教の人はみんなお互い知り合いだと思いますよね。

おおいなる勘違いです。

天理教全体で数十万います。

教会長と呼ばれる立場の人でも1万人以上います。

 

みなさんも知り合いなんて数十人、多くて百数十人だと思います。

知り合いの平均って44人なんですね。

ネットで検索しました。

 

なので、同じ天理教の中でも、ほとんどが知らない人です。

これ事実です。

 


 

ところが、天理教の教会本部に行くと、数千人、時には数万人が集まります。

そんな時に、何かの拍子で見知らぬ人に話しかける必要が発生します。

例えば、トイレで年配の男性がハンカチを置き忘れたのを見かけたときとかです。

 

そのんなとき、便利に使えるのが、この「先生」という言葉です。

 

天理教には年齢よりも、その人の役職や立場を、必要以上に重んじる風潮があります。

ただ見た目だけでは、どういう立場の人か全くわかりません。

そこで、「先生」を使うわけです。

 


 

例えば「先生、ハンカチ忘れてますよ。」とか。

 

他にも「先生はどちらの出身ですか?」とか

 

偉そうな年配の人が若い人に向かって

「先生、そこの靴とってくれ!」

 

もはや、「先生=お前」です。

便利ですね。

 

英語でなら全部「You」です。

「You、やっちゃいなよ」は、「先生、やっちゃいなよ」です。

言いませんが。。。.

 

 


 

こんなふうに天理教の場合、「先生」は誰にでも使えるとても便利な言葉です。

 

ところがこの「先生」は、ちょっとした問題を生み出している言葉でもあるんです。

あくまでも個人的な意見ですけど。

 

じつは「先生」と呼ばれることで「うっほほーい」と舞い上がってしまう人がいるんです。
(私です。。。)

 

信仰を伝える人は、学んだ教えによって謙虚な姿をみせるからこそ、話を聞いてもらえると思いうのです。

 

ところが「うっほほーい先生」は、そう呼ばれただけで、もう先生ですから、偉くなっちゃうんです。

 

「自分の考え」」そのものが、「信仰の教え」になってしまうんですね。

教えも学ばず謙虚さも忘れ、「うっほほーい」します。
(言い過ぎました。。。)

 

ようは、とりあえず「先生」って呼んでるだけって言いたかっただけです。

 

今日のまとめ

 

私のことを「会長さん」って呼ぶと喜びます