非日常の雰囲気が大切なのかも、という話です。


 

宗教施設の中に入ったことってありますか?

やっぱり入ったら、なかなか帰してもらえない感じがしますか?

逆です。

 


 

ここの教会は天理教の中でも小さいほうです。

信者さんも数えるほどしかいません。

 

そんな小さな教会でも、そこの責任者(教会長)になると、いちおう布教活動みたいなこともします。

あまり好きではないですけどね。

→ 『本音を言えば布教活動は苦手です、という話です。』

 


 

布教活動っと言っても「話を聞きます」というハガキをポスティングするだけです。
(4月以降、新型コロナの影響で中止しています)

このブログを読んでいる人の中にも、そのハガキを見たことがある人もいるんじゃないでしょうか。

 

月に1~2人ですが、ハガキを見たという人から電話がきます。

 

その方たちの話を聞いていると、人の悩みと言うのは本当に多種多様だなと感じます。

なかには電話だけで「落ちつきました」と言ってくれる人もいます。

 


 

電話だけの人には、教会まで来てくれたほうがいいよなあ、と思うんです。

電話だと、どうしても自分の世界から抜け出せないからです。

 

教会に来るということは、非日常の環境に身を置くことになります。

宗教がちょっと怖いと思うのは、この知らない非日常の環境のせいでしょう。

 


 

そのちょっと怖い部分、つまり非日常の環境だから話せることがあります。

 

いつもと違う環境で話をするから、いままで見えていなかったことに気が付くことがあるのだと思います。

 

そして、話が長くなって時間が足らなくなり、次に来る日の約束をして帰っていただくこともあります。

冒頭に書いた「返してもらえなくなる不安」って、いったい何なんだって、私が感じる瞬間です。

 

ね、逆でしょ。

 


 

宗教に相談したところで、劇的に解決することはありません。

だけど、いままで気が付けなかったことに気づく、そのことで少しづつ自分自身で救われていくんです。

 

入信する必要はありません。

どうぞ自分の距離感で信仰に触れる機会を見つけてください。

きっと自分の助けとか救いにつながります。

 

ようは、勧誘しないから大丈夫って言いたかっただけです。

 

今日のまとめ

 

やっぱり勧誘するかも(^^)