亡くなった方を御霊様としてお祀りしています、という話です。

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天理教の場合、死んだらどうなるのということについて説明します。

 


 

ひとつ前のブログでこんなことを書きました。

 

人間の体は神様から借りている物と考えます。
そして、自分が死んだら借りていた体を神様に返すと考えます。
なので、人間の体は神様からの「かりもの」と呼んでいます。

 


 

自分が死んだら借りていた体を神様に返します。

じゃあ、返した後どうなるの?

 

天理教の場合、死んだあとは、生まれ変わって、この世の中に戻ってくるということになっています。

天国もなければ、地獄もありません。


 

生まれ変わるときは、神様から新しい体を借りてくる、という発想です。

 

今の体を返して、新しい体を借りて、生まれ変わってくるということです。

ここの考え方が、ほかの宗教と一番違うところかもしてません。

 

借りてくるのは自分自身ですから、この借りる自分自身を「魂」と呼んでいます。

 


 

ところで、天理教では、亡くなられた方を霊様(みたまさま)としてお祀りしています。

 

なんか気になりませんか?

 

自分自身である魂は生まれ変わって、またこの世の中に戻ってくるんです。

にもかかわらず、霊様としてお祀りされているんです。

 

だって生まれ変わったら、そこに魂はいないでしょ?

なにを拝んでいるんでしょう。

 

じつは、この部分は、どう解釈していいか、天理教の教えの中にないんです。
(たぶん。。。)

 

なので、各自の解釈です。

信仰的に言えば各自の悟りということになります。

 

 



 

ここから先は、私なりの悟り方です。

「魂」が新しい体を借りて生まれ変わってきても、前世の「記憶や感情」は残っていません。

この生前の「記憶や感情」つまり「心」と呼んでいいと思います。

この心こそが、霊様としてそこに祀られているんじゃないかと考えています。

 

ちなみに、天理教では霊様を偲ぶために、年に2回お彼岸の時期に御霊祭というものをします。

そこで、霊様に向けて祭文を読み上げます。

 

その祭文のなかに「御心放たず御見守り下さい」という言葉を入れることがあります。
(「みこころ、はなたず、おみまもりください」と読みます)

 

そういうことからも、亡くなられた方の生前の心が、そこにあるのだなと思うようにしています。

まぁ実際はわかりませんけど、あくまでも、私なりの解釈、悟り方です。

 

 

今日のひとこと

 

死んだら、本当はどうだったか、わかるかもしれません。

 

 

天理教東王子分教会(足立区)