信仰と新型コロナウイルスについて

 

偶然を必然ととらえること

私は、信仰の「入口」をこのように伝えています。

 

そして、

必然ととらえるから意味が見えてくる

信仰の「必要性」をこのように伝えています。

 

もし、このページにたどり着いた偶然を、必然と感じられるなら、信仰する素質がありそうですね。

 


 

さて、新型コロナウイルスの脅威が収まりません。

新型コロナウイルスの出現が偶然ではなく必然だとするならば、

それにはどのような意味があるのでしょうか。

 

私にとっては難問です。

きっと一人ひとり意味は違うと思います。

 


 

神仏があるかのように振る舞う

信仰の「仕方」をこのように伝えています。

 


 

今回の件、私自身が、神様から何か試されているような気がします。

おまえ、毎月書いているけど、今回何が書けるんだ、と。

はい、、、もっと勉強していきます。

私にとっての意味は「神様に試されていることに応えること」

 


 

ちなみに、天理教では「手引きが済んで、ためしがすんでいない」という話があります。

「ためしとは、自分のことより、人をたすける心構え」と教わっています。

 


 

さいごに、入院されている方の一日も早い回復と、一日も早い終息を祈ります。