6月5日にホームページをリニューアルします。

宗教的な判断基準

 

人はいろんな判断基準を持っています。

例えば、経済的な判断基準、科学的な判断基準、道徳的な判断基準。

でも、宗教的な判断基準を持っている人は少ないかもしれませんね。

宗教的な判断基準、つまり、信仰による価値観みたいなものです。

 


 

1990年代はオウム真理教の事件の影響もあって「宗教=マインドコントロール」とみられている時代でした。

いまでも、団塊の世代には、そういう意識が残っている人が多くいるように感じます。

いっぽうで、若い人を中心に40代以下は比較的宗教に寛容になったと実感することも増えてきました。

 

宗教によるマインドコントロールは、宗教的な判断基準が自分のすべてになってしまった、たぶんそんな状態だと思います。

 

宗教的な判断基準にも良い面は当然あるのですが、それだけになってしまうのは、歴史をみても個人的にはちょっと違うかなと思いますね。

 


 

さて、宗教の判断基準ですが、これはいままでの判断基準(経済的・科学的・道徳的)では通用しない分野、そういう分野に真価を発揮します。

例えば、生きている意味、とか、死んだ後の話とか。

他にも、理不尽な出来事の受け入れ方というのも得意分野ですね。

 

祖父母の時代までは、天理教にかかわらず、いろんな信仰が生活に深く根付いていました。

信仰熱心だったのかもしれませんが、やはり、それだけ理不尽な出来事も多かった時代だったんだと思ます。

 

そのかわり、生きる意味や、死の受け入れは、すでに自分が持っている信仰で考えることができたと思います。

 


 

世の中の理不尽が減ることで宗教的な判断基準の重要性が薄れていった。

同時に、生きる意味や、死を考える力が薄れてきているように見えます。

 

いままでの判断基準を持ったまま、宗教的な判断基準を身につけられれば、今の時代に生きる人達も、もう少し生きやすくなるかもしれませんね。

 

 


天理教東王子分教会(足立区)