信仰よりも大切なこと

これはどこの宗教にも「あるある」らしいのですが
宗教に所属していると、いろんな宗教行事に誘われます。
行事の種類は宗教ごとに違いますが、もちろん天理教にも、多少なりともそんな行事が存在します。
例えば、年代別の集まりとか、ボランティア活動とか
もちろん、みんなでお祈りする場もありますし、なんなら布教活動も入っています。
天理教の場合、どの行事をどれくらいやるか、その判断は、それぞれの教会に任されています。
うちは、私の独断と偏見で、自分が楽しいと思える事を、とにかく優先しています。
(だから、あまり布教活動してないとは小さい声でしか言えない。。。)
さて、これも宗教界では有名な「あるある」です。
「信仰の深さ=行事への参加」
団塊の世代を中心に、こんな風潮があるんですよ。
(この風潮が嫌いだなんて小さい声でも言えない。。。)
でも信仰には、行事の参加よりもっと大切なことがあると思っています。
それが「信仰による気づき」です。
分かりやすく言えば、教えを学んだうえで
「あっ、あれって、そういうことだったんだ」
ってことです。
そして、その言葉とともに、自然と湧き上がってくる感情があります。
その感情こそが大切な信仰体験なんです。
別に、難しい修行する必要はありません。
ただ、教えを通して自分の内省を上手に繰り返していく。
それだけです。
それを続けることで、ある時にふと気が付くことができるんです。
「教えを通して自分の内省を上手に繰り返すこと」
これを続けていくことが本当の信仰だと、私は思っています。
年の瀬に、いつもより少し真面目な内容になってしまいましたね。
それでは皆さん、よい年をお迎えください。
(^^)