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心のよりどころって、なに?

 

最近、ちょっとずつ宗教が見直されているみたいです。

そういう話になるときは『心のよりどころ』という文脈で語られることが多い印象ですね。

 

『心のよりどころ』という言葉を、ここ一年のあいだに聞いたことがあるという人も多いんじゃないでしょうか。

 

ところで、『心のよりどころ』って、いったい何なんでしょう?

 


 

前回、鈴木大拙さんの『ほんとうの祈り』について書きました。

 

ほんとうの祈りというものは、叶うても、叶わんでも、

むしろ叶わんということを知りつつ、

祈らずにおられんから祈るというのがほんとうの祈り

 

 

 

本当の祈り.jpg

 


 

『祈らずにおられんから祈る』

ここには、書かれていない大きな前提があります。

 

鈴木大拙さんは無宗教ではありません。

仏教のひとつ、臨済宗を信仰しています。

つまり、仏教としての祈り方、臨済宗としての祈り方を知っているわけです。

臨済宗として祈る対象のご本尊があって祈り方があるわけです。

 

天理教も同じです。

天理教として祈る対象があって、祈り方があるんです。

 

おおよそ戦前生まれの人たちは、宗教が身近にあった時代ですから、祈る対象も祈り方も知っていたわけです。

 


 

さて、

『むしろ叶わんということを知りつつ、祈らずにおられんから祈る』

この言葉のあとには、もう神仏に任せるしかない。

祈ったあとには、私たち人間には、もうどうしようもないので、任せるほかかない。

 

いま現在でいえば、ウクライナで起きている戦争、2年前から続くパンデミック。

 

祈らずにおられんから祈った、そのあとに、不安を手放すことができるようになるんです。

言い方を変えれば、その不安を神仏に引き取ってもらうんです。

 

簡単じゃないですけどね。

不安を手放せなかったのは、どこか義務的にだったり、祈ったんだからなんとかしてくれるだろう、という取引的な祈りになっているのでしょう。

 

さて、不安を引き取ってもらう先の神仏、これを『心のよりどころ』と呼びます。

 

天理教は神様を信じます。

不安を引き取ってもらうこと、心のよりどころにすることを『神様にもたれる』という言い方をします。

 

信仰する人にとって『心のよりどころ』とは、『ほんとうの祈り』をしたときの祈りの対象ということです。

 

 

 


天理教東王子分教会(足立区)