月いちブログ

コロナになった後は、どうなった?

こんにちは。倉橋 🙋‍♂️ です。

 

今月も続きです。

前回はこちらから

 


 

2020年2月、世の中に新型コロナの影響が、なんとなく出始めたころです。

ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に到着したのは、2月3日のこと。

 

足立区からも、こども食堂の開催を控えてほしいという連絡がありました。

連絡を受けた時は、数か月の辛抱で夏にはおさまるだろうと高をくくっていたんです。

 

3月。

全く収まる気配がないまま卒業式シーズンを迎えます。

 

ここに来てくれてた子たち、小学生だけでなく、ボランティアとしてきていた高校生にも卒業する子がいます。

3月の子ども食堂では何かお祝いでもと思っていたのに、何もできない。

 

当時、妻は高野小学校のPTA会長をやっていました。

こども食堂には、高野小を卒業する子たちも来ていました。

妻はPTA会長として卒業式で挨拶しなければなりません。

ここに来ていた子がいる中での卒業式です。

妻は、どんな言葉を伝えようか、年明けからずっと考えていました。

でもPTA会長という立場であっても、卒業式には出られなかったんです。

 

4月。

入学式シーズンです。

ここに来ていた小さい子たちの中に、高野小に入学する子がいました。

妻は、入学式の壇上にいる私と目が合ったら、その子はどんな顔をするだろう、とても楽しみにしていました。

もちろん、これも叶いません。

 

卒業式、入学式に出席できなかった親御さんたちの思いに比べれば、比較にはなりませんが、それでも妻は学校の近くまで行って、遠目に見ていました。

 


 

私のほうは、3月下旬から4月下旬にかけて1か月間、奈良県天理市に滞在しています。

宗教的な用事があってのことです。

 

天理には車で行っています。

3月下旬の移動は問題なかったんです。

でも、4月下旬、東京に戻ってくるときは、緊急事態宣言の真っ最中。

県をまたぐ移動は自粛するよう要請されていました。

 

それでも帰ってこないわけにいきません。

高速道路では、大きなパーキングエリアを選んで、わざわざ遠くのほうに止めていたことを記憶しています。

 

ところで天理にいる4月に、他の子ども食堂がテイクアウトを始めたという情報が入るようなります。

コロナが長引きそうなこともあって、妻と電話で相談しながら、とりあえず5月からお弁当形式で再開することを決めました。

 

5月10日に初めてのお弁当配布を開催しました。

 

来てくれた人は、たったの5人。

 

前の年には80人近くの人が来てくれていたことを思うと、さみしい限りです。

 

それでも、コロナの中で、数か月ぶりに会えたことは、嬉しさと懐かしさと頑張ろうで、なんとも言えない気持ちになりました。

 

その翌月、6月に足立区の支援もあって『フードパントリー』が始まります。

 

(つづく)

 

 

開催報告

 

10月は私が天理に行っていたこともあってお休みしました。

2020年4月に行ったときと同じ理由です。

3年に2回くらいのペースで行かなきゃいけないんですよね。

何をしているかは、こちらのブログに書きました。

 

 

来月の予告

 

今回の続き「お弁当配布にして、どうなった?」です。

お楽しみに!

 

 

  

 

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