信仰するメリット
私、週に2~3日くらいシステム関係の仕事もしているんです。
最近、そこで仕事をしている人から、こんなことを言われました。
倉橋さんって、心に余裕ありますよね。
信仰しているからでしょうか。
そんな嬉しいこと、初めて言われました。
心に余裕、自分で言うのもなんですが、確かにありそうです。
せっかくなので、信仰が関係しているか、自分なりに考えてみました。
私には、子どもが5人います。
一番下の子は中学生ですが、いま不登校の状態です。
信仰していても、心に余裕があるといわれても、子どもが不登校になると、やはり親としての不安はあるものです。
ところで、この教会ではフードパントリーという、社会支援活動もやっています。
フードパントリーとは、ひとり親家庭などちょっと生活が大変な人に食品を提供する活動です。
提供する食品には賞味期限が近いものも多くあり、利用してくれる方がいることで、社会全体の食品ロスの低減にもつながっています。
さて、うちの子が不登校になり始めた頃のことです。
その日は月に1度のフードパントリーの開催日です。
いつも利用してくれるお母さんが子どもと一緒に来てくれました。
今年の4月に小学生になったばかりの男の子です。
その子に何気に聞きました。
「どう、学校慣れた?」
その子は、なぜか、ちょっとモジモジ...
そうしたらお母さん
「ちょっと不登校気味なんです」
私
「あっ、うちもだよ」
はたから見れば、偶然に成り立った会話に見えるかもしれませんね。
でも信仰があると、これを『必然』と受け取るんです。
このお母さんと会話するために、うちの子は不登校になっておく必要があったんだ、と。
神様が、自分たちに何をさせようとして、もしくは、何かを気づかせようとして、あえてそうしているだ、と。
どうやら、身の回りに起きたことを、信仰によって『必然』と受け取ることで、心に余裕が生まれているのかもしれません。
難しいかな...
天理教の言葉
人をたすけて、わが身たすかる
読んで字のごとく、誰かを助けることは自分を助けることになる、という教えです。
「情けは人のためならず」に似ていますね。
先ほどのお母さんの件ですが、この先、同じ境遇として、相談にのってあげることができるかもしれません。
そう考えることで「我が子の不登校の不安」に対して、心に余裕ができます。
自分の心に余裕ができる、つまり、自分が助かることにもつながっているんですね。
『人をたすけて、わが身たすかる』
この教えが、心に余裕を持つためのポイントかもしれません。