教会長のほぼ週刊ブログ

NHK「こころの時代」

NHKの番組に「こころの時代~宗教・人生~」という宗教番組があります。

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先日、10月9日、16日と2週にわたって「問われる宗教と“カルト”」と題して、6人の宗教学者、宗教者が討論する内容が放送されました。

 

 

 

その中に僧侶であり仏教学者でもある釈徹宗さんという方がいます。

右から3番目の方です。

 

番組の中で、この釈さんが、風景写真を例えに宗教のありかたを説明していました。

カルトを理解するうえで参考になりそうなので、私が理解した範囲で簡単に紹介したいと思います。

 


 

風景写真や風景画では、遠くのものを「遠景」、近くのものを「近景」と呼び、その間のものを「中景」と呼ぶそうです。

 

例えば、山や海は「遠景」、自分や目の前にいる人が「近景」、その間にある建物や樹木が「中景」といった感じです。

 

絵を描いた時、山と人だけ描く、つまり「遠景」と「近景」だけ描くと奥行くがあまり出ないそうです。

そこに「中景」である建物を加えると奥行が感じられるようになるんだそうです。

 

釈さんはこの「遠景・中景・近景」を宗教に当てはめていました。

 

  • 遠景:聖なる部分
  • 中景:社会の問題
  • 近景:個人の問題

 

そして異なる宗教同士の対話は、この中の「中景:社会の問題」で行われていると説明されていました。

 

個人的にはとても納得できる例えです。

 

 

カルトの場合は、この中景の部分がないため、他の宗教と対話することができないとも指摘していました。

 

社会とのつながりを捨てさせて、「個人」と「聖なる部分」を直結させてしまうのがカルトの特徴と言えばイメージつきやすいでしょうか。

 

カルトを理解するうえでの参考になれば幸いです。

 


 

で、ここからは私の考えなのですが、天理教を含めた既成宗教は「近景」や「中景」に焦点をあて過ぎた結果「遠景:聖なる部分」がかすんで見えにくくなってしまっているのではないかと思います。

 

だから遠景がはっきり見えるカルトに惹かれた人が出てきたのではないか、と。

 

「遠景:聖なる部分」を語れなくなった私たちにも責任があるのではないと感じています。

 

 

天理教の言葉

 

 

山の仙人、里の仙人

 

 

天理教の教祖は信仰する人たちに「里の仙人になるように」と言われた、そう伝えられています。

 

「里の仙人」の対になる言葉が「山の仙人」です。

 

「山の仙人」とは人里離れた山奥で世俗との関りも絶ち、静寂中で修行や自己修養を行っている賢人のような人のことです。

わざわざ「山の」とつけずに、単なる「仙人」と同じ意味です。

 

つまり「里の仙人」とは、世俗の中で、仙人のように修行や自己修養を行う人という意味合いです。

 

天理教は、社会の中で仙人のように澄んだ心で生きることを目指しなさい、そんな教えとも言えますね。

 

 

 

 

  

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