こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでください。
教会の人、みんな倉橋なので。。。
1週間前の5月21日に娘の結婚式を、この教会で行いました。
お相手は、天理教を信仰している方ではなかったのですが
両家顔合わせの時に、なんとなくの流れでうちでやることになりました。
お相手のご両親も「いいんじゃない」という感じで、快く受けてくださいました。
なんなら、むしろ私たち夫婦のほうが
「式をやるにはうち狭いですよ」
とか
「天理教式になっちゃいますよ」
とか、なんか必死に言っていて。
周りの人から見たら、私たちのほうが教会でやることに反対しているくらいの勢いでした。
当日は、11時30分から式を、13時から披露宴を行いました。
式は予行演習の甲斐もあって、滞りなく済みましたが、披露宴の最中にとんでもないハプニングが。。。
なんと、式で使用した三々九度の瓶子(↓)を、私が落として割ってしまったのです。
割った瞬間は冷や汗💦ものでしたが、何とか変な空気にならず、無事にお開きを迎えることができたので良かったです。
さて、天理教の結婚観には「嫁は結婚することで元の家に帰る」という考え方があります。
嫁として送り出す親からすれば、今まで預かって育ててきた娘をお返しするとなります。
また、嫁として受け入れる親からすれば、預かってもらっていた娘が戻ってくると考えます。
なので、嫁ぎ先の親から見たら「娘が帰ってきた」と受け取れます。
嫁ぐ娘から見たら「この人たちが親だったんだ」と受け取れます。
双方がこういう考えでいてくれたらとても良い「嫁姑」関係が築けると思います。
新しい夫婦が幸せになる第一歩目にふさわしい考え方だと思っています。
いんねん(因縁)
「因縁をつける」みたいな悪い印象がありますが、天理教では「良いいんねん」「悪いいんねん」という言い方をし、「いんねん」自体は中立的な言葉です。
「前生から引き継いできたこと」という意味が近いです。
結婚もいんねんある者同士が結ばれると言います。
そういえば「前前前世」という歌、流行りましたね。
聞くたびに、なんとなく「いんねん」っぽい歌だなぁと思っています。