こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでもらえると反応しやすいです。
もう15年くらい前のことでしょうか。
私が教会長を引き継ぐ前のことです。
仕事先の女性と2人で飲みに行った時、こんなことがありました。
(大丈夫です。お互い既婚者です)
仕事上の付き合いもそれなりにあったので、彼女は私が天理教だということを知っています。
飲んでいる最中、話の流れで、、、というより、ほぼ唐突に
「天理教って、どんな教え?」
って聞かれたんです。
ちょっとびっくりしました。
でも、すぐに頭はフル回転です。
・陽気ぐらし・かしものかりもの・八つのほこり・人を助けてわが身助かる・・・
天理教用語がずら~っと頭の中に出てきます。
でも、これを真面目に言ったら引かれそう。
それはイヤ。
でも、相手は女性。
なんか気の利いたことは言いたい。。。
きっとその数秒間、わたし固まってたんでしょうね。
すぐ別の話題に変えられてしまいました。
ホッとしたような、でも少し残念な、そんな何とも言えない記憶が残っています。
その経験からです。
「天理教って、どんな教え?」
この問いに対する答えをずっと考えています。
最近、ある講演の動画を見ました。
そのなかで「信仰は習慣」という言葉があったんです。
なるほどなと思い、いろいろ考えてみました。
そのおかげでしょうか。
「天理教って、どんな教え?」
に対する答えっぽいものが、ぼんやりと見えてきました。
少し長くなりそうなので、次回から数回に分けて投稿しますね。
てびき
身体の患いや、人間関係のもつれなどを通して信仰につながることを「てびき」と呼んでいます。
このブログを読んで、天理教に興味を持ってもらえたなら、それも「てびき」かもしれませんね。