こんにちは。教会長の倉橋です。
教会では「会長さん」と呼んでくださいね🙏
最近、ある人から相続について相談を受けています。
親御さんが亡くなり相続について、きょうだいでもめていると。
いわゆる争続ですね。
私が知っている関係者は、この相談を受けた人だけです。
亡くなった方とも、きょうだいとも面識がありません。
なので仲裁に入るわけにもいかないのです。
そこで、宗教者として伝えたことは
「どっちでも大丈夫なようにしておきなさい」
最初に相談されたとき、その人は
「わたしは強いから争う」
と言っていました。
でもですね...こういう言い方する人って、ほんとうは強くないんですよね。
ほんとうに強い人はこんな感じです。
イメージできると思います。
まずは「淡々と対応する」ためのアドバイスをしました。
弁護士とかの話ですね。
そのうえで「結果がどうであれ動じない」ために
「どっちでも大丈夫なようにしておきなさい」
と伝えたんです。
どっちでも大丈夫なようにするために、信仰の話を伝えます。
信仰はその教えの価値観を学ぶことでもあります。
その価値観で物事の受け止め方を変えることができます。
いちばん極端な受け止め方は「神様がそうした」です。
あくまでもいちばん極端な例えです。
実際は、もう少し現実的な受け止め方を探していきます。
ただ最後に「神様がそうした」があることで、いろんな受け止め方を試せるんです。
信仰を持つ人に動じる印象が少ないのは、こういうことなのかも知れませんね。
余れば返やす、足らねば貰う
良いことをしてもきりがないし、悪いことをしてもきりがありません。
良いことをすれば天に貯金をし、悪いことをすれば天から借金をすることになる。
つまり良いことをすれば徳となって自分に返ってくるし、悪いことをすれば不足となって何か返さなけばならなくなる。
だから人生、場合によっては来世もふくめ、プラスマイナス均等になるようになっていると言うことです。