教会長のほぼ週刊ブログ

どっちでも大丈夫!

こんにちは。教会長の倉橋です。

教会では「会長さん」と呼んでくださいね🙏

 


 

最近、ある人から相続について相談を受けています。

親御さんが亡くなり相続について、きょうだいでもめていると。

いわゆる争続ですね。

 

私が知っている関係者は、この相談を受けた人だけです。

亡くなった方とも、きょうだいとも面識がありません。

なので仲裁に入るわけにもいかないのです。

 

そこで、宗教者として伝えたことは

 

「どっちでも大丈夫なようにしておきなさい」

 


 

最初に相談されたとき、その人は

「わたしは強いから争う」

と言っていました。

 

でもですね...こういう言い方する人って、ほんとうは強くないんですよね。

 

ほんとうに強い人はこんな感じです。

  • 争う意識なく淡々と対応する
  • 結果がどうであれ動じない

イメージできると思います。

 

まずは「淡々と対応する」ためのアドバイスをしました。

弁護士とかの話ですね。

 

そのうえで「結果がどうであれ動じない」ために

「どっちでも大丈夫なようにしておきなさい」

と伝えたんです。

 

どっちでも大丈夫なようにするために、信仰の話を伝えます。

 

信仰はその教えの価値観を学ぶことでもあります。

その価値観で物事の受け止め方を変えることができます。

 

いちばん極端な受け止め方は「神様がそうした」です。

あくまでもいちばん極端な例えです。

 

実際は、もう少し現実的な受け止め方を探していきます。

ただ最後に「神様がそうした」があることで、いろんな受け止め方を試せるんです。

 

信仰を持つ人に動じる印象が少ないのは、こういうことなのかも知れませんね。

 

 

天理教の言葉

 

 

余れば返やす、足らねば貰う

 

 

良いことをしてもきりがないし、悪いことをしてもきりがありません。

良いことをすれば天に貯金をし、悪いことをすれば天から借金をすることになる。

つまり良いことをすれば徳となって自分に返ってくるし、悪いことをすれば不足となって何か返さなけばならなくなる。

だから人生、場合によっては来世もふくめ、プラスマイナス均等になるようになっていると言うことです。

 


 

  

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