信仰するデメリット
以前、信仰するメリットを書きました。(こちら)
メリットを書いたら、デメリットも必要ですよね。
あまり気乗りしませんが、ちょっと書いてみましょう。
他の宗教のことを書いて問題になっても困るので、
「天理教を信仰するデメリット」を100%私の主観で書いてみます。
お金がかかります
巷では高額な献金が問題になっていますが、そういうことではありません。
(献金についてはこちらのブログ)
お坊さんに、個人的な知り合いが何人かいます。
その方たちに聞いたのですが、1つのお寺では檀家さんが100~200軒ないとやっていくのは厳しいとのことでした。
宗派によって幅は異なるようです。
ところが天理教の場合、信者さんが15~30軒あればなんとかやっていけます。
5倍から10倍の差です。
これは、一つのお寺や、一つの教会を経済的に支える人数が違うをあわらし、
そのまま檀家さんや信者さんの経済的負担に影響しています。
天理教のほうが正直お金かかるんですよね。
恥ずかしいです
天理教は、月次祭や朝夕のおつとめのお祈りで、立って踊る部分があります。
これを天理教以外に人がいるときにするのって、ちょっと恥ずかしいんですよね。
中には見られるのを平気な人もいますが、私はいくつになっても慣れません。
たまに初めて教会にくる人がいます。
いろいろ話を聞いているうちに「おつとめ」の時間になることがあります。
そうすると、
「今からお祈りの時間なので、参拝していってください」
と声掛けをします。
もちろん、「おつとめ」の最中は平気な顔をしてやっていますが、内心はちょっと恥ずかしがっています。
天理教の言葉
むりにでやうといふでない
こゝろさだめのつくまでハ
(無理に出ようと言うでない。心定めのつくまでは)
ざっくりな意味です。
しっかり自分の心が納得し、定まるまでは、
無理をして信仰の道に出ようと言うのではないですよ。
天理教は布教活動をしていても、勧誘にガツガツしていません。
それは、この言葉があるからかもしれません。
もし信仰しようと思うなら、デメリットも認識したうえで、どうぞしっかり考えてみてください。