天理教と献金
今月8日、安倍元首相が演説中に銃撃され亡くなられました。
慎んで故人のご冥福をお祈りします。
さて、凶行に及んだ犯人の背景も報道で次第に明らかになっていきています。
その中でも、犯人の母親が行っていた所属教団に対する多額の献金が注目されています。
こういうときですから、天理教の献金について説明しておきたいと思います。
天理教では「献金」という言葉は使いません。
『お供え』と呼んでいます。
献金やお布施は、それぞれキリスト教、仏教での呼び方です。
天理教の教会の場合『お供え』は大きく3つの用途に使用されます。
1.教会の維持費
電気代、ガス代、水道代など
神具の購入・修繕費、畳や障子の張り替えなど
2.上級へのお供え
天理教の教会はピラミッド型の階層構造です。
なので、うちの教会の上にも教会があります。
この教会のことを上級と呼んでいます。
うちで頂いたお供えの一部を上級の教会に納めています。
3.教会長の給与
お供えが、そのまま教会在住者の生活費に充てられているわけではありません。
正確に言うと、教会(宗教法人)から、私(教会長)に給与が支払われています。
私とその家族は、その給与で生活しているわけです。
給与の支払いが発生しているわけですから、個人的に源泉徴収とか、住民税、健康保険などの支払いもあります。
ちなみに、うちの場合は、信者さんがとても少ないので、教会から支払われる給与はわずかなものです。
正直それだけでは生活できませんので、外にでて働いています。
幸い時間に融通が利く仕事につけたので、教会長をしながら働くことができています。
裕福とは言えませんが、それほど苦しい生活でもありません。
次に、お供えの無理な強要はあるのかという疑問にお答えしたいと思います。
お供えは天理教全体で統一された方針はなく、各教会に任されています。
ですので、わたしが責任をもってる答えられるのは
「当教会では無理なお供えの強要はしていません」
ということになります。
ちなみに、ほとんどの教会が信者さんの自主性に任せているようです。
たまに教会の立て直しなどで大きなお金が必要になるときは多めにお願いすこともあります。
でも教会ごとの独立採算制となっている現状では、他の教会がどうゆう信念でやっているのか、そこまではわかりません。
やはり「お金」というセンシティブな内容なので、気の許した仲間以外とは、教会長という立場同士でも話題にしにくいものです。
無理なお供えの強要はしてほしくない、というのが個人的な思いです。
最後は、なんだか歯切れが悪くなってしまいましたね。
天理教の言葉
金銭は二の切り
天理教では「お金」のことを「二の切り」と表現することがあります。
「二の切り」とは、一番にではなくて、二番目に大切なもの、という意。
切りとは、義太夫などに於て、真打が勤める最も格式の高い部分を言う。
(新村出「広辞苑」平凡社「世界大百科事典」)
金銭は2番目に大事なものと言う意味です。
1番目はなんでしょう?
1番目は「命」と教えられています。
「金銭は二の切り」は以下のような説明がされています。
(意訳です)
金銭を惜しむ心が強すぎるのは、例えれば、家が燃え焼け死ぬのもいとわずに、家の中のお金を出しているようなものだ。
惜しいと思うお金や宝が残って、結局は身を破滅させてしまう。
お金と命、順番を間違えないようにしたいものです。
いっぽうで、お金は命の次に大事なものではあるので、信者さんから受け取ったお供えは大切に扱っていきたいと思います。