こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでもらえると嬉しいです。
今回は、天理教の人に相談したら「天理に行きませんか」と言われた、そんな話です。
天理教の場合、信仰姿勢として「人だすけ」が、強く推奨されています。
他宗教と比較すると、ちょっとした「洗脳」レベルかもしれません。
そのくらい天理教では「人だすけ」が浸透しています。
で、勧誘する目的で「人だすけ」をしているかというと、そうでもないんですね。
まぁ多少の下心はあるでしょうけど。
どちらかと言えば、「人だすけ」することで、自分が信仰的に救われる、みたいな考え方なんです。
ところで、天理教の聖地は「奈良県天理市」にあります。
この天理に連れていくことも、人だすけの意味が含まれています。
なので、天理教の人に悩みごとを相談すると、かなりの確率で「天理に行ってみませんか」と誘われます。
数年前の話をします。
たまたまホームページを見た方から電話がかかってきました。
信仰をしていない方からで、悩みをきいてほしいとの相談でした。
一通り話を聞いた後、遠方だったこともあり、近くの天理教の教会を案内しました。
知り合いではない教会です。
知り合いの教会ってすごく少ないんです。
そのあたりは過去のブログを読んでください。
さて、数日たってから、その方からまた電話がありました。
「紹介されたところ行ってみたけど『天理に行ってみませんか』って言われたので、もうあそこには行きません」
まぁ紹介した先の教会も悪気はなかったと思うんです。
それ以外の言葉が見つからなかったんでしょう。
もちろん私も天理に誘うことはあります。
まぁ天理に行っても入信するとは思っていませんが。
ただ、神殿の大きさに驚くリアクションをしてほしいです。
(どちらかと言うと、それだけで嬉しい)
神苑全体は東京ドームより広いんですよ。
このサービスを使っています。
この先『天理に行ってみませんか』って誘われてイヤだったら、やんわりと断ってください。
まぁ興味本位で行ってみてもいいかもしれませんけど...
その時は変な期待をいだかせないように「興味本位です」って、ちゃんと言ってあげてください。
それでもきっと喜びますから。
おぢばがえり
天理に行くことを意味する言葉です。
奈良県天理市にある天理教の聖地を『ぢば』と呼びます。
普段は丁寧語の「お」を付けて『おぢば』と呼んでいます。
天理教では聖地『ぢば』を人類創造の地とし、人間全体のふるさとと考えます。
人間のふるさとに行くのだから、行くことを「帰る」と表現します。
つまり
天理に行く
↓
おぢばに行く
↓
おぢばに帰る
↓
おぢばがえり
となるんです。