教会長のほぼ週刊ブログ

天理教ってどんな教え?(その2)

こんにちは。教会長の倉橋です。

教会では「会長さん」と呼んでくださいね🙏

 

前回の続きです。


 

前回は「信仰は習慣」という言葉を聞いて、そこからいろいろ考えたというところまで書きました。

さて習慣は、頻度と行動に分解することができます。

 

例えば、家にある仏壇の前で毎日お線香をあげる。

そのときに「南無阿弥陀仏」と唱えれば立派な信仰だと言えますね。

もちろんこれは天理教ではなく仏教の話です。

 

キリスト教なら、毎週の日曜礼拝があります。

ちなみに「日曜礼拝」はプロテスタントの呼び方で、カトリックの場合は「ミサ」と呼ぶらしいです。


 

神社なら毎年の初詣

毎年決まった神社に行くなら、信仰っぽいとも言えますよね。

 

ちなみに天理教の場合は、毎月の月次祭 つきなみさいがあります。

 

こう見ると宗教によって頻度も行動も違っていますね。

でも「 行動の習慣 」がなんとなく信仰っぽい、というのはを感じることができると思います。

 


 

ところで宗教は学問上「 創唱宗教 」と「 自然宗教 」に分類されます。

 

創唱宗教とは、教祖や教義がある宗教のことです。

一方、自然宗教は、神道のように特定の教祖や教義がない宗教のことです。

 

天理教は、創唱宗教に分類されます。

教祖もいるし、教義もありますからね。

 

で、創唱宗教の場合は、行動だけでなく、思考の習慣も大切になります。

 

天理教の思考のキーワードは「 陽気ぐらし 」です。

 

なんで「 陽気ぐらし 」かというと、

神様がそういうふうに暮らしてほしいという想いで人間を創造したからです。

 

そういう前提なんです。

 

「 陽気ぐらし 」がどんな暮らし方をイメージしているかは、字の雰囲気から何となく想像ができると思います。

 

天理教の教典では

「陽気ぐらしは、他の人々と共に喜び、共に楽しむところに現れる。」

と説明しています。

 

ところが、そういう想いで神様は人間を創造したのにもかかわらず、なぜか病気になったり、理不尽なことがあったり。

 

そうやって人生がうまくいかないことが、当たり前のように起きてきます。

 

(次回に続きます)

 

天理教の言葉

 

 

月次祭 つきなみさい

 

 

毎月執り行われる祭礼のことです。

ただし、これは天理教独自の言葉ではありません。

神道で使われている言葉です。

 

天理教でいつ頃から使われているか分かりませんが、明治後期に政府の干渉により神道に属していた時期があり、その頃の名残かもしれません。

 

 

 

  

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