教会長のほぼ週刊ブログ

天理教は本当に勧誘しないのか?

前回のブログの続きです。

X(Twitter)でバズった影響は前回のとおりです。

そこから実際に申し込んで宿泊した方と話す機会がありました。

 

その方、バズを見る前は天理教をちょっとは知っているという程度でした。

そこで、申し込んだ理由を聞いてみたところ

「バスった投稿の引用に好意的なのが多かったから」

と言っていました。

 

引用を確認してみるとネガティブな投稿もありますが、おおむねニュートラルかポジティブな投稿です。

引用の確認はこちら↓

https://x.com/chibiusachi/status/1888500009739714764/quotes

 

その中に「勧誘してこないから安心」みたいなのがちらほらあります。

いかにも天理教らしいです。

じつは天理教をネタにした投稿が去年から数回バズっているのですが、引用はだいたい同じ傾向です。

 

しかし、それにしても、勧誘しない……

 

違うんです。してるんです。してるつもりなんです。

皆さんが、そう受け取ってくれないんです…

 

確かに、強引に入信を迫ることは、まずありません。

まぁ勧誘と言えば「強引」というイメージですよね。

 

だったら、それとなく入信を勧めてくるのかというと、それもあまりないと思います。

身近に天理教の友人、知人がいる人でも、入信を勧められたという人は、あまりいないと思います。

 

いっぽうで、

相談事をしたら親身に聞いてくれた、とか

子ども食堂やフードパントリーでお世話になっている、とか

子どものころ天理に連れてってもらってカレー🍛を食べた、とか

そういう経験をした人はそれなりにいると思います。

 

被災された方の中には、天理教の人がボランティアに来てるのを見たことがある人もいると思います。

 

しいて言えば、これが天理教の布教スタイルなんです。

 

天理教では「身体は神様からの借り物であって、心だけが自分で自由に使える」と考えます。

その自由に使える心を、どのように使うか、これを説く教えが天理教なんです。

 

だから、その自由に使える心で、天理教に興味をもってもらい、教えを学んでほしいと考えるんです。

そのうえでの入信なんです。

 

そういう理由で私たちは、良い意味で天理教に興味をもってもらえるように心がけて活動をしているんです。

これが私たちの布教スタイルです。

 

う~ん、やっぱり勧誘とは違うか……

 

 

天理教の言葉

 

 

にをいがけ
(においがけ、匂い掛け)

 

 

天理教の布教スタイルを表す言葉です。

自分の行いや言動を通して、天理教の教えそのものではなく、教えの雰囲気や意味するところを、花の香りが匂うように伝えていく、という意味です。

相手が嫌がるような匂いではなく、喜ぶような匂いをけかえることを心掛けるように教わります。

きっと、この言葉が「(強引な)勧誘をしない」ベースになっているんでしょうね。

 

 

 

  

 

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