なぜ信仰しているんですか

先日、天理教の教会長を集めた講習会がありました。
午前中だけでしたが、久しぶりに対面の講習会です。
オンラインもいいですが、やはり直接会えるというのもいいですね。
さて、その講習会のなかで、講師の方がこんなことを言っていました。
なぜ信仰しているんですか?
いまの時代、教会長として、この問いに
きちんと答えられなければいけない
なるほど、確かにその通りです。
このブログを読んでいる方の中には
「信仰しているんだから、そんなの答えられて当たり前じゃないか」
そう思う方がいるかもしれません。
実際は、そうでもないんです。
教科書的な答えや、うわべだけの答えなら、それなりに勉強すれば言えるようになります。
でも、自分自身の言葉で答えられるかというと、なかなか難しいんです。
さらに言うと、時間が経てば、その答えも変わってきます。
さて、いまの私なりの答えですが、「○○だから」と一言で表すのはまだ無理です。
思いつくままに説明していきますので、少しお付き合いください。
以前、天理教の機関紙に、こんな記事が載っていました。
ある教会の奥さんが、中高生向けに講演講師をしているという記事です。
講演の内容は警視庁主催の「命の大切さを学ぶ教室」
この奥さん、6年前に、当時6歳だった娘さんを交通事故で亡くされています。
その経験から学んだことや感じたことを話されているそうです。
記事には、娘さんを亡くしてから、どのように考えて生活したかや、講師になるまでの過程なども書かれていました。
記事をお読みになりたい方は、近くの教会で
「天理時報の7月6日号を読みたい」
とお伝えください。
さて、この奥さんも天理教の信仰者です。
6歳の娘を亡くすとういう状況で、信仰が心を支えのひとつだったことは間違いありません。
一人では、家族だけでは、心を支えきれない、そういう状況が起きた時に、心を支えてくれるのが信仰だと思います。
そういう状況にならないようにと、信仰している方もいるでしょう。
むしろそのほうが分かりやすいかもしれません、
でも、私としてはそういう状況なったとき、そこから先のために信仰があるんだと思っています。
宗教を学ぶには、切羽詰まる前、元気なとき、何もないときがいいと言っている理由です。
天理教の言葉
一れつ心しやんたのむで
(いちれつ、こころ、思案、頼むで)
天理教の教えのベースに、神様の言葉をまとめた3つの本があります。
その一つに「おふでさき」という本があります。
「一れつ心しやんたのむで」は、その「おふでさき」の一番最後に書かれている言葉です。
「いちれつ」とは「みんな」とか「全員」みたいな意味です。
ざっくりな意味はこんな感じです
皆、自分の心で、しっかり思案するようにお願いします
神様から自分の心で思案するようにお願いされて、一つの本が閉じられています。
何かあった時、教えをベースに思案し、自分や家族の心を支えられるようになる。
これが私が信仰している理由なのかもしれません。