こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです。
前回の続きです。
前回は「陽気ぐらし」が前提なのに、人生がうまくいかないことが当たり前のように起きるよね、というところまで書きました。
こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです。
前回の続きです。
前回は「陽気ぐらし」が前提なのに、人生がうまくいかないことが当たり前のように起きるよね、というところまで書きました。
天理教では病気になったり理不尽な出来事が起きたりすることを「 てびき 」と呼んでいます。
漢字で書くと「 手引き 」です。
「 陽気ぐらし 」を目指してほしいのに自分勝手な考え方ばかりしていると
「 そっちは違うよ、こっちだよ 」と神様から手を引かれると考えるんです。
なので「 てびき 」です。
で、この自分勝手な考え方を「 ほこり 」と教わります。
「 誇り 」ではなく、ちりや小さなゴミのほうの「 埃 」です。
ちょっと白木の台を思い浮かべてみてください。
この白木の台、2~3日そのままにしておくと、うっすらホコリが積もりますよね。
自分勝手な考え方も、それと同じだと教えられているんです。
どんな人でも、なにがなくても、自然と使ってしまう、自分勝手な考え方とはそんなものだというんです。
だから、「 心の掃除をしなさいね 」というのが天理教の教えです。
で、この「 心の掃除 」をするために神様に手を合わせる時間、それが月次祭での「 おつとめ 」です。
「 おつとめ 」は心の掃除の時間とも教わります。
さて、白木の台に話を戻します。
2~3日、まぁ1週間くらいならのホコリなら、簡単に拭けば、きれいになります。
ところが、1か月、2か月、いや2年も3年もそのままにしていたら、
ホコリはシミとなって、いくら拭いても取れなくなります。
天理教は生まれ変わりを信じる教えでもあります。
心のホコリも積もり重なれば、魂にシミとなって残ります。
生まれ変わったとき、魂に昔のシミが残っているんです。
これを「 いんねん 」と呼びます。
さて、白木の台の場合、シミはどうやって取るか。
数年前、この台にサンダーを掛けたことがあります。
いやぁ、すっかりきれいになりましたね。
そうです。
魂のシミにもサンダーを掛けるんです。
過去に心が削られる思いをしたって経験ありませんか。
それは神様がサンダーを掛けて、魂のシミを削り取ってくれてたんです。
白木の台のサンダーもきれいになれば終わります。
心が削られる思いも、いつか終わりがあります。
でも、心が削られるくらいだから、すごくつらいですよね。
そんなときは「 人助け 」をするように教わります。
自分が大変なのに、他人どころではない、そんなときだからこそ人を助けなさいと教わります。
でも、心が削られているときに人助けをすると、なぜか少しだけ楽になるんです。
これを「 人をたすけて我が身たすかる 」と教わります。
さて、このあたりでまとめましょう。
これが天理教の入り口です。
「 天理教ってどんな教え? 」
いまなら、こう答えます。