こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです。
天理教の教会長をやっているからでしょうか、ときどき重い話を打ち明けられることがあります。
そういうときは、根掘り葉掘り聞くのではなく
打ち明た人が、話したいことを話しやすいように
そういうことを心がけながら、話を聞いています。
ところで話を聞き終わった後、すこし気になることがあります。
「おかげで心が軽くなりました」という言葉です。
この言葉、みなさん、よく言われます。
つかえていたものを口に出して話すと、確かに心が軽くなります。
私にもそういう経験があるので実感としてわかります。
でもこれは、薬に例えるなら痛み止めと同じなんです。
日常のちょっとした痛みなら痛み止めで十分なように
心につかえていたものを吐き出すだけで十分ということが多いのも事実です。
ところが、そうではない場合もあります。
痛み止めの薬が効かないなら、きちんと診断を受けて症状にあった薬や治療が必要です。
同じように、いくら心の内を吐き出しても、楽になるのはその時だけで、
結局あまり変わらないようなら、宗教の話を聞いたほうがいいんじゃないかと思うんです。
ただ宗教の話って即効性はなく、漢方みたいちょっと時間がかかるんですよね。
漢方がゆっくり体質を改善していくように、宗教の話は心の体質を改善していくようなものです。
でも、あるとき突然「宗教の話の意味が理解できた!」みたいなこともあるんです。
これは体験してみないとわからないかもしれませんね。
いまゝでハ とんな心で いたるとも
いちやのまにも 心いれかゑ
しんぢつに 心すきやか いれかゑば
それも月日が すぐにうけとる
神様の言葉をまとめた「おふでさき」という本に出てくる言葉です。
「5・7・5・7・7」の和歌のように詠みます。
(7・5の部分は若干つながる感じ)
なので、現代風に区切って書くとこんな感じになります。
今までは どんな心で いたるとも
一夜の間にも こころ入れ替え
真実に 心すきやか 入れ替えば
それも
月日 が すぐに受け取る
「
ざっくりの意味はこんな感じです。
今までどんな心を持っていたとしても、一晩のうちにそれを入れ替えなさい。
本当に心を丸ごと入れ替えれば、月日(神)もすぐにあなたの心を受け取ります。