教会長のほぼ週刊ブログ

物事を多面的に見る

こんにちは。教会長の倉橋です。

教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです😀

 


 

物事を多面的に見ることができる人って、バランス感覚が良かったり柔軟性がある、そんな感じがします。

 

多面的の反対語は「一面的」や「単眼的」だそうです。

 

 

単眼的:一つの立場や角度からだけでものごとを見たり考えたりするさま。

コトバンク

 

SNSで陰謀論という言葉が頻繁に使われるようになって、だいぶ経ちますが、やはり単眼的な気がしますよね。

 

宗教もカルトっぽいところは、単眼的な感じがやっぱりしますね。

 

もっとも、宗教と言うだけでそう見られている気もします。

自分も他の宗教のことを頭の中で思い描くと、特に理由なく、うっすら単眼的な印象を持ってしまいます。

 

でも、そういう印象をもつ自分に対して矛盾も感じるんです。

 

本来、宗教を信仰していると多面的な視点を持つことができるはずなんです。

 

特に仏教やキリスト教といった伝統宗教なら、なおさらです。

そうでなければこれだけ長い期間、人々が信仰を受け継いでるとは思えません。

 

多面的に見る方法には、

 

例えば

① 当事者・利害関係者・第三者といった視点で見る

② 過去→現在→未来の時間軸で見る

という方法がありますが、

 

宗教では、それぞれに

① 神仏の視点

② 前世、死後を含めた時間軸

を加えることができます。

 

つまり多面的な見方を増やすことができるんです。

なのに、単眼的に見られてしまう。

 

宗教だけの視点で判断している、そう感じられるからでしょうか…

 

正直に言えば、私のような立場であっても、大半の場面では宗教的な視点で物事を考えていません。

宗教的な視点は、例えば、現実的な解決が難しい、これはもうどうしようもないなと感じたときに、効果があるんです。

 

どうしようもないことだとわかっていても、思い出すとモヤモヤする。

そんなときに宗教的な視点を加えることで、現実を受け入れやすくなることがあります。

 

現実を受け入れられるようになると、心に余裕が出てきます。

心に余裕があるからこそ、さらに別の視点に気づけるんです。

 

大事なことは多面的な視点で物事を見たあとに、自分の意思でどの視点を選択するかってことだと思います。

 

モヤモヤしていることがあるなら、話だけでも聞いてみませんか?

新しい視点に気が付くかもしれませんよ。

 → 天理教の話を聞いてみる

 

 

天理教の言葉

 

 

前生ぜんしょうのいんねん

 

 

前生(ぜんしょう)と読み、前世のことです。

もともと仏教用語で、今生こんじょうの対になる言葉です。

 

天理教は生まれ変わりを信じる教えなので前生ぜんしょうがあります。

その前生での行いの積み重ねが、いま生きているときにあらわれてくることを「前生のいんねん」と言います。

 

 

 

 

 

  

 

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