こんにちは。教会長の倉橋です。
教会では「会長さん」と呼んでくださいね🙏
Xでこんな投稿を見かけました。
地縁・血縁・信仰という共通の足場を崩された人間関係では慎重に立ち回らなければうまくいかなくなるのは当然です。どこに地雷が隠れているかわからないのですから。
— 銅大 (@bakagane) January 4, 2026
今や誰もがマインスイーパーのようにお互いの地雷を手探りする人間関係を強いられています。そりゃしんどくもなる。
天理教の教会長だけでなく、子ども食堂やフードパントリーをやっているせいでしょうか、いろんな人から話を聞くことがあります。
子育てや家族との関係、自分の病気のことなど。
それなりに重い話もあります。
ただ、解決を望むというよりは、自分が抱えていることを知っておいてほしい、そんな感じです。
もちろん、自分ではどうにもならないから、どうしたらいいでしょう、という場合もあります。
でも、多いのは圧倒的に「知っておいてほしい」です。
20年前に「個人情報保護法」ができ、プライバシーを強く重んじられるようになりました。
その結果、隣の人がどういう人か知らない、知っていても家族構成や名前までは知らない、そんな人間関係が当たり前になってしまいました。
引用したXにある「いわなくてもわかる・伝わる」部分がごっそりと社会から欠落してしまったんでしょうね。
その揺り戻しかどうかわかりませんが、「知っておいてほしい」という感情から話をする人がとても多いように思います。
年齢的には20代、30代が多い印象です。
私が親世代に近いからでしょうか。
意外と自分のこと、自分の家族のこと(問題ごとも含めて)知っている人がいるというのは、慎重に立ち回る必要がないので気が楽になるものですよ。
手探りする人間関係にちょっと疲れていたら、話を聞きに来てみませんか。
たすけあい
天理教を信仰するなかで一番大事にしている信仰実践です。
自己中心的でない心で他者の幸せを願う行いも含まれます。