教会長のほぼ週刊ブログ

視点を変えろと言われても

こんにちは。教会長の倉橋です。

教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです😀

 


 

悩み事があったり、何か問題が起きたとき、周りから「視点を変えてみれば?」と言われることってありますよね。

 

「こういう考え方もあるよ」と別の角度からの見方を教わって、その場では「なるほど!」と思ったり、心が少し軽くなったりすることもあります。

 

でも、時間が経つとまた元に戻ってしまう。

 

これは意志や努力が足りないせいではないと思います。

そもそも「視点を変える」ことには、「横方向」と「縦方向」の違いがあるからです。

 

「横方向」の視点移動

これは、別の意見を知ることや新しい知識を増やすこと。

本を読んだり人の話を聞いたりして、同じ出来事に対して違う解釈ができるようになる状態です。

 

選択肢が増えて視野は広がりますが、「見ている高さ」そのものは変わっていません。

 

例えば、背の低い子どもが、高いところに書かれた文字を読もうとしているとします。

周りを歩き回ったり、少し離れて見たりするのが「横方向」の視点移動です。

後ろは見ることはできても、高いところの文字は読めないままです。

 

「縦方向」の視点移動

では、どうすれば読めるようになるのか。

ジャンプすれば一瞬は見えますし、大人に抱っこしてもらえば確実に読めますよね。

これが「垂直方向」に視点が上がった状態です。

 

でも、ジャンプは一瞬だし、抱っこもずっとは続きません。

 

誰かのアドバイスで一時的に楽になるのは、この「借り物の高さ」で視点が変わっているだけなんですね。

本当に必要なのは、自分自身の視点が高くなることです。

 

心を育てる「栄養」

横方向に視点を広げるには「知識」が、縦方向に視点を上げるには「経験」に加え「心の成長」がそれぞれ必要だと思います。

 

体が食べ物なしでは育たないように、心も成長するためには「栄養」が必要です。

その成長を支える栄養素のひとつが、宗教の教えや信仰なのだと私は思います。

 

天理教の教えは、すぐに魔法のような答えをくれるものではありません。

しかし、「どう生きるか」という軸を与えてくれます。

 

子どもが一晩で大人にならないように、心も時間をかけて育っていきます。

 

「視点を変えろ」と言われてすぐに変えられなくても大丈夫です。

ここでいろんな話をしたり、聞いたりしてみてください。

少し時間はかかるかもしれませんが、今は見えなかったものが、無理をしなくても見える高さに立てるようになれるはずと信じています。

私は、そのお手伝いができるなら嬉しいです。

 

天理教の教えがどんな「栄養素」なのか。

いちど話を聞きに来てみませんか。

 → 天理教の話を聞いてみる

 

天理教の言葉

 

 

成人(せいじん)

 

 

一般的には法律で決められた年齢(今は18歳)になることを指しますが、天理教では「心の成長」を意味します。

昨日の自分よりも少しだけ心に余裕が持てたり、物事を前向きに受け止められたりすることに加え、信仰的な理解度を深めることも含まれています。

そんな目に見えない成長を大切にしています。

 

 

 

  

 

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