こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです😀
学校では天理教は新興宗教と習いましたよね。
ちなみに、宗教学では新興宗教ではなく、「新宗教」という言葉を使うようです。
で、この「新宗教」の定義では
「幕末・明治維新期以降に成立した宗教のうち、既成の宗教組織を継承していないもの」
となっています。
天理教は幕末の1838年(天保9年)にできています。
なので、新宗教の分類になるというわけです。
とは言え、もうすでに190年近くたっているんですよね。
新宗教でもかなり古いほうになります。
最近では、古参の新宗教枠から、伝統宗教の新参者になったと言う人もいます。
これが、仏教だとそんなに違和感を感じないと思うのよ
— 西岡寛麿-Hiromaro Nishioka (@hiromaro0422) October 29, 2025
ということは、天理教も古参の新興宗教枠から、新参者の伝統宗教枠になりつつあるんちゃうかなと思ってます
仏教やキリスト教の仲間入りですね。
190年も続いているので、宗教としても信頼されつつあるというのは、XのポストやYouTubeのコメントを見ても実感します。
教え的にも、「ひのきしん」や「陽気暮らし」は受け入れやすい概念のようです。
この2つの言葉もぶっちゃければ
ですからね。
ただ、それだけじゃちょっと足りないというか、むしろ、もったいないというか。
190年続いた理由って、それだけじゃないんで。
もっと言うと、それだけじゃ、天理市という宗教都市や、あの超デカい神殿はできないわけですよ。

ちゃんとした教えの土台があるからこそ、「ひのきしん」や「陽気暮らし」という価値観を共有でき、それが「天理市」や超デカい神殿に繋がっているわけです。
この土台となる教えの部分が、天理教の価値みたいなものです。
共有しやすいふわっとした言葉ではなく、地に足の着いた部分があるからこそ人は手を取り合って前に進むことができるんじゃないかと思うんです。
きっとそれが190年続いた元であって、天理市という宗教都市や、あの神殿に繋がる原動力なのでしょう。
それは個人の人生においても同じだと思います。
信仰の土台とはどういうものか、いちど話を聞きに来てみませんか。
一手一つ(いってひとつ)
ざっくりの意味は、みんなで協力して、といったところでしょうか。
もう少しちゃんというと、教えに心を合わせて個々の役割や能力を発揮しながら全員が力を合わせる協調と和の姿勢です。