こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです😀
天理教の話は何度も聞いているのに、入信はしていないという感覚分かりますか?
そういう感覚の人、ぼちぼちいるみたいです。
まぁ天理教の教えを伝える側にも、どういう状態になったら入信という話をあまりしないということも原因の一つにありそうですが…
たぶん、SBNR(Spiritual But Not Religious)に近い感覚なんでしょうね。
SBNRとは10年くらい前に日本に入ってきた概念で、「宗教的ではないが、スピリチュアル的である」ということです。
特定の教団・教義・儀礼に縛られず、個人の内的な信仰体験を重視する考え方です。
ところが入信はしてないと言っても、教会に所属することに抵抗がない人もいます。
うちの教会でいえば、
天理教には入信していないけど、東王子分教会には所属している、みたいな感じです。
若い人と接しているとなんとなく感覚的には理解できます。
天理教の人からみたら何言っているのかわからないと思いますが…
SBNRでいえば、教団に縛られてるじゃないか、という話になりそうですが、
たぶん、教会の縛りのユルさにそのあたりを感じずに済んでいるというのはありそうです。
もうすこし言語化すれば
所属はその教会の人を見てユルさを判断することができるけど、
入信は教えそのものを理解しなければ判断できない。
そういう難しさがあるのかなと思います。
教えそのものを理解するって、私でも難しいですからね。
う~ん…まとまらない…
ときどき、「入信」をテーマにブログを書くのですが、毎回、難しいテーマだなと感じます。
心定め(こころさだめ)
信仰している過程で、何かあった時に「こうさせてもらいます」といった決意表明みたいなものです。
神さまとの約束みたいなものなので、誰かに言う必要はありません。
入信もこれに近い感覚を天理教の人は持っていそうです。
つまり、私たちからすると、入信とは「あなたと神様の約束事」であって、私は口出しできないといった感じですね。