偶然を必然と受け取ると忙しい
身の回りに起きたことを、信仰によって『必然』と受け取ることで、心に余裕が生まれているのかもしれません。
ということを書きました。
でも、何でもかんでも、必然だ~、神様だ~ってやってると、全然落ち着いて生活なんかできません。
石につまずいても必然
黒い猫を見ても必然
タンスの角に小指をぶつけても必然
さすがに、やってられませんね。。。
そんなときは
「偶然が2つ重なったら、必然と受け取る」
偶然が「悪いこと」2つとも限らないです。
「良いこと」と「悪いこと」のこともあれば、「良いこと」と「良いこと」ということもあります。
ところで、良いことが重なると、逆に不安になる人もいるらしいですね。
良いこと続いたから、そのうち悪いことが起きそうで怖いって感じです。
でも良いことが重なったら、素直に神様からのご褒美として受け取っていいと思いますよ。
人の場合でも、ご褒美は素直に受け取ってくれたほうが、うれしいですよね。
同じように、神様も、ご褒美は素直に受け取ってくれたほうが、うれしいと思います。
天理教の言葉
合図立てあい
いろんなことが次々と起こることを「合図立てあい」と呼んでいます。
良いことでも、悪いことでも、偶然が続いたら「合図立てあい」と思ってみてください。
何か神様を感じるポイントです。