こんにちは。教会長の倉橋です。
教会では「会長さん」と呼んでくださいね🙏
宗教者の役割って、信仰を伝えることなんですが...
うまく言えないのですが、自分自身もたいして信仰できている自信もないので、
はっきりこうです、と言い切ることができないんですよね。
ここの教会につながる人にとって、教会長が信仰に自信がないって言ってたら
ちょっと不安になってしまうかもしれませんね。
ただ、いろいろと天理教の教えを勉強すればするほど、
信仰がなんなのか分からなくなっていくんですよね。
たまには分かった気になるんです。
でもしばらくすると分からなくなる。
そんな繰り返しです。
どうやら、ダニング=クルーガー効果というらしいです。
教会長になって10年過ぎましたが、いまは絶賛、わからなくなっている最中です。
いずれ分かってくるときがくるのでしょうか...
とりあえず、そのときまで勉強です。
このみちを しんぢつをもう 事ならば
むねのうちより よろづしやんせ
(この道を 真実思うことならば
胸の内より よろず思案せ)
「おふでさき」という神様の言葉がつづられている本があります。
その中の一節です。
天理教を信仰することを「道」と呼びます。
出だしの「この道」とは天理教に信仰を意味しています。
「よろず」とは「万」の字を用い、「たくさんあること」「あらゆること」の意味です。
「天理教の信仰を真実と思うなら、深くあらゆることを思案しなさい」
という意味です。