教会長のほぼ週刊ブログ

祈りの上手・下手

こんにちは。教会長の倉橋です。

教会では「会長さん」と呼んでくださいね🙏

 


 

信仰に「祈り」は必須です。

 

この「祈り」天理教には、いくつかパターンがあります。

1人で好きな時間にやったり、決まった時間に数人でやったり、大人数でやったり…

10分程度だったり、30分くらいや2時間くらいのことも。

こう書くと、バリエーションありすぎですね…

 

さて、天理教の祈りには手ぶりがあります。

手をいろいろと動かすんです。

しかも歌を歌いながら。

 

一番オーソドックスなのは、15秒くらいの言葉(歌?)を21回繰り返すパターンですね。

1人でするときは、歌をうたいながら、手を動かしつつ、頭の中で21回数えるんです。

すごいでしょ?

 

これ、慣れてくると、さらに他のとも考えられるようになるんです。

例えば、「これ終わった後なにしようか」とか「ああ、あれやってなっかった」とか。

すごいでしょ?(2回目)

 

歌をうたいながら、手を動かしつつ、頭の中で21回数えながら、他のことも考えられる。

認知症の予防にはぴったりです。

 

 

でも、この祈り方が良いやり方かと言うと、そうでもない。

 

説明しますね。

 

まず天理教には「誠の心」という言い方があります。

「誠」って天理教にとって結構大事な概念なんですが、いろんな解釈の仕方があります。

 

その解釈のひとつに

「口と心と手が揃ってこそ誠」

というのがあります

 

口、話す言葉のことです。

心、言わずもがなです。

手、行いのことです。

 

『言行一致』という熟語がありますが、これは口と手が一致することですね。

天理教の「誠」はそれに心の一致が加わります。

 

祈りには誠の心があるべきですが、慣れてくると、21回も繰り返すことも上の空でもできちゃうんです。

 

慣れているので、見た目は上手な祈り方に見えるかもしれませんが、心ここにあらずでは、下手くそな祈りに違いないですね。

 

不慣れな人が間違えないように一生懸命やっているほうが実は上手な祈りになっているのかもしれません。

慣れって怖いですね。

 

天理教の言葉

 

 

心通りの守護

 

 

「守護」とは神様の導きや働きを意味します。

あなたの心づかいのとおりに神様の導きがありますよ。

みたいな感じです。

 

「願い通りの守護」ではなく「心通りの守護」と教わります。

 

いくらお願いごとをしても、心のほうを見るよ。

天理教の神様は、そんな神様です。

 

 

  

 

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