こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです😀
天理教では、病気になることを『身上』、人間関係のトラブルなどを『事情』と呼んでいます。
この身上・事情は、それを通して神様からのメッセージとして受け止めます。
どんなメッセージかというと、もちろんそれぞれの人に応じているのですが、どちらかと言えば今のままでは危ないよというメッセージです。
間違っても天罰がぁ…みたいな受け止め方はしません。
そもそも天理教には天罰という概念がありません。
基本的にはみんなで助け合って陽気な世界を作っていってほしい、陽気ぐらしと呼ばれる概念がベースです。
だからみんなで陽気ぐらしを実現してほしいから、この身上・事情で考えてねというふうに受け取ります。
ところが、なにをどう考えればいいか、これが難しい。
いや、ほんと難しい。
だから、教えを学びながら、がんばって考えるんです。
宗教的に偉い人から答えをもらうんじゃないんです。
自分で考えるんです。
宗教的に偉い人から答えをもらって、そうする場合もあります。
でも、自分で考えて、そうするって決める必要があるんです。
がんばって考えるところがポイントです。
信仰って格好大変なんです。
でもやりがいもありますよ。
ふしから芽が出る
身上・事情をまとめて節(ふし)と呼ぶこともあります。
この場合の節(ふし)は木が幹から枝が分岐する部分のことです。
その節(ふし)から芽が出るように、身上・事情から新しい人生の芽が出るという意味です。