教会長のほぼ週刊ブログ

心が汚れたと感じた時は

こんにちは。教会長の倉橋です。

教会では「会長さん」と呼んでくださいね🙏

 


 

生きているといろんなことが起きますよね。

昨日今日起きたことにイライラすることもあれば、ず~っと子どものころから続いているようなこともあります。

 

とくに親子関係のように子どものころから続いていることって普段は気にしていなくても、ふとした拍子に思い出してモヤモヤしますよね。

時間がたてばまた忘れているけど、完全に忘れられるわけじゃない。

なんか思い出すたびに自分の心が汚れるような、トゲが刺さったままのような、そんな気がしてしまいます。

 

そんなときはどうするか。

親子関係に限らず、理不尽なことに対して、どう受け止め、どう受け流すか。

 

これって現代以上に理不尽が多かった昔からの課題ですよ。

だから昔の人は、道徳、哲学、宗教に頼ったのでしょう。

共通しているのは、起きたことに対して意味づけをしている点です。

 

あれがあったから今の自分がある、とか、過去に悪いことをしたバチが当たった、とか。

禍福は糾える縄の如し、とか。

 

人間は過去の出来事を意味づけすることで、どうにか受け止めたり、もしくは受け流したりしてきたんです。

実際にそんな経験ありませんか?

 

でも頭で理解できても、感情が無理なんですよね。

 

だからこそ、宗教の教えを…

 

と言いたいところなんですけど…

 

宗教の教えや話を聞いて意味づけを見つけたところで、一時的な気晴らしにしかならないんですよ。

みなさん、こう言うんです。

 

「いいお話を聞かせていただきました」って。

 

意味づけは自分自身でしなきゃダメなんです。

 

教えから、自分の身に起きたことの意味づけを自分でする。

でもきっとうまくいかないです。

そうしたら、教えの違う部分をもってきて、別の意味づけをしてみる。

それを繰り返すことで、自分で納得できる意味づけが見つかるんです。

結局、時間がかかるんです。

 

でも、時間をかけた分、それが人間的な成長にもつながっていきます。

 

いちど話を聞きに来てみませんか?

 → 天理教の話を聞いてみる

 

天理教の言葉

 

 

成人

 

 

読み方は、そのまま「せいじん」です。

天理教における「成人」とは、特定の年齢に達することを指すのではなく、教えを理解し心の成長を遂げることを意味します。

 

あなたの心は大人になっていますか?

 

 

 

  

 

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