こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです😀
天理教は一神教です。
神さまは1人(?)しかいません。
私たちは
タイプとしては
あくまでも、近いのはタイプであって教えじゃないですよ。
さて、この親神様、人間世界を創造した神です。
人間を創造したとなると、気になるのがダーウィンの進化論ですね。
じつは天理教は大丈夫なんです。
人間創造の教えのなかに、こんな感じで進化論が含まれているんです。
人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て
九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込み
明治14年にはすでに似たような表現がありました。
ちなみに日本に進化論が伝わったのは明治10年、国内で書籍として出版されたのが明治16年なので、どうなんでしょうね。
明治初期に新しい学説が奈良の片田舎まだ届いたかどうか。
あと、教祖が人間創造の話を始めたのは明治7年ごろからなので、なかなか興味深いところです。
さて、ここまで説明してきて、あれですが、ちゃぶ台をひっくり返します。
「教えが、科学的な研究結果と一致するから、信じられる教えだ」
というのは、個人的にはどうかなと思ってるんです。
だって、宗教の教えってどちらかと言えば非現実的で、目に見えないものや力を信じるわけです。
その根拠が科学的なのはどうなのっていう話です。
昔は調べようがなかった、親子の関係も、科学的に証明できるようになりました。
中国残留孤児の方のようにそれで救われた方も大勢いると思います。
ただその一方で気づかないほうが良かった、調べる/調べないで揉めたという話題をニュースで聞くこともあります。
目に見えない親子の絆を、科学的に証明することの両面を見る気がします。
どこまでいっても神の存在を目にすることはできません。
であるなら、科学的証明に一喜一憂すのではなく、ちょっとくらい信じられなくても「そんなものか」と受け入れていたほうが楽な気がします。
まぁ私の立場的には「素直に教えを信じて…」みたいに言ったほうがいいのでしょうが、どうもね、そうじゃないと思うんですよ。
素直になんてそう簡単に信じられないわけですよ。
特に人間世界の創造部分は比喩も多くてよくわからないんですよね。
だから「そんなものか」という程度がちょうどいいんだと思います。
いろいろ話を聞いてみたい方はこちら。
十全 の守護
天理教の神様(親神様)が人間を守護するうえでの働きに、10個の名称を付けています。
「十全の守護」はその総称です。
ただ、この名称、全部「〇〇〇〇のみこと」と神名になってるんですよね。
だから10人の神様がいるように勘違いされやすいのですが、あくまでも神様は1人(?)で、10の働きに神名が付いているんです。
それぞれの神名と働きはこちらへどうぞ。