教会長のほぼ週刊ブログ

続・心を軽くするには

こんにちは。教会長の倉橋です。

教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです😀

 


 

前回の続きです。

 

話をして心が軽くなる、信仰の話を聞いて、自分を変えていくというのは、どういうことなんでしょう。

 

まず、心が重い。

何かを抱えている、何かを背負っている人ほど、心が重くなりそうなものですが、実際はそうではありませんよね。

同じ境遇でもうまく自分の心と折り合いをつけている人も大勢います。

まあカラ元気でも出さなきゃやっていけない、と無理している方が多いのも事実ですが。

 

自分の話をすると一時的とはいえ心が軽くなります。

でもしばらくするとまた重たくなってくる。

 

背負っているのものを、重い荷物に例えてみましょう。

 

自分の話している間は、荷物を一時的に置いているような状態です。

もしくは話している相手と一緒に持っているような状態です。

その間に、少し心が回復します。

重い荷物を少しの間、置いておくと体が回復して、もう一度持ち上げた時ちょっとだけ楽になっている、あの感じです。

だから軽く感じるんです。

 

でも結局、時間がたつと、また重くなっていくわけです。

 

次は信仰の話。

 

信仰は物事の受け止め方を変えます。

信仰によって自分を変えていくというのは、物事の受け止め方を変えていくことです。

荷物でいえば、持ち方、背負い方を変えることです。

 

でもね…

どんなに泳ぎ方の本を読んでも泳げるようならないのと一緒で、話を聞いただけじゃ持ち方、背負い方は変わらないんですよ。

 

じゃあどうするか、身もふたもない言い方をすれば、学びと実践を繰り返すのみです。

 

信仰によって学んだ教えをもとに、物事を受け止め方を考えてみる。

うまい行かなければ、また学び、実践する。

この繰り返しです。

信仰の本質は、自分で気づくことにあります。

 

私の役目は、その時のコーチ役だと思っています。

 

話を聞きに来てもらえれば、もちろんあなたの話も聞きますよ。

 → 天理教の話を聞いてみる

 

 

天理教の言葉

 

 

見えるまま、聞こえるままの世界に変わりはなくとも、心に映る世界が変わり、今まで苦しみの世と思われたのが、ひとえに、楽しみの世と悟られてくる。

 

 

天理教教典に書かれている一節です。

 

「見えるまま、聞こえるままの世界に変わりはなくとも」つまり、抱えている荷物の重さに変わりなくても、ということです。

荷物の重さに変わりなくても、この世が楽しみの世と悟れるようになるのが、天理教の教えです。

 

 

  

 

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