こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです😀
前回の続きです。
前回のブログで、こんな事を書いています。
信仰によって学んだ教えをもとに、物事を受け止め方を考えてみる。
では信仰や教えってどうやって学ぶのでしょうか?
これが結構難しいんですよね。
最初のハードルは意味不明な専門用語の多さです。
天理教で言えば
まだまだたくさんありますが、初めての人はこれだけでおなかいっぱいでしょう。
で、専門用語を説明しようとすると、専門用語を使わなきゃいけない、もしくは教えの前提を理解していないとわからない。
もはや聞くほうにとっては苦行でしかないです。
わかりやすい本があるかというと、そうでもない。
例えば体験談の本もありますが、当然教えと専門用語を理解している前提で書かれています。
他にも教えの解説本もあるのですが、なんというか参考書を読んでいるような感じになります。
やはりちゃんとしたテキストを選び、それをす説明してくれる人の両方が必要だと思います。
ちなみに私が個人的に薦めているテキストが教典です。
総ページ数はたったの100ページ、税込み165円です。
なんと Amazon でも売っているので、信者さんじゃなくても購入できます。
ただ、この本、教典とあるだけに当然ガチです。
何も知らない人が一人で読んでも全く理解できません。
それでも買って読んでみたいという酔狂な人は、第6章と第7章だけ読んでください。
第6章と第7章は天理教の信仰のポイントがギュっと詰まっているんです。
第6章と第7章をある程度理解できるようになったら、続きの第8章~第10章は読んでみる。
そして第6章~第10章をスラスラ読めるようなったら、初めて第1章から第5章までを読んでみてください。
そこでやっと、いろんなことが心に収まってきます。
この教会に来て、教えを勉強するときも同じ順番です。
全部でだいたい3年くらいかかりますかね。
でもそのくらいかかったほうがいいんです。
宗教の中でも比較的優しい教えと言われている天理教でも、本を1冊、読んだ程度じゃ理解できないんですよね。
まぁだから180年以上続く宗教になったのだと思います。
ちょっとずつ覚えながら、今、身に起きている事の受け止め方に当てはめてみる。
うまく理解できることもあれば、ぜんぜんうまくいかなこともある。
むしろうまく当てはまらないことのほうが多いです。
それでも続けていくことで、どこかでなるほど思える日が来ます。
いちど話を聞きに来てみませんか?
今は
種々 と心配するは無理でないけれど、二十年三十年経ったなれば、皆の者成程 と思う日が来る程に。
天理教が始まるときに神様から言われたとされる言葉です。
教祖である「中山みき」に神が入り込み、言葉を伝え始めたことが天理教の始まりです。
ただ、そのとき家族含め周囲の人たちは、その言葉に猛反発し3日のあいだ問答が続きました。
当たり前ですよね。
昨日まで普通の農家の主婦だった人が、とつぜん「神だ」と言い出して「はい、そうですか。よろしくお願いします」なんて答える人はいませんよね。
上の言葉は、その3日間の問答の中で出た言葉の一つです。