こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです😀
2週間ほど前に腰を痛めました…😣
お風呂掃除をした後に違和感があったのですが、その時はそれほどでもなかったんです。
ところが翌日、少し重いカゴを抱え上げようとしたときに、完全にヤってしまいました。
土日を挟んで月曜日に近所の整骨院でみてもらい、いくらかマシにはなったのですが、そう簡単には治りません。
1週間は動くのがやっと、2週目はだいぶ良くなったのですが、それでも自転車は無理でした。
自転車を乗り降りするときに足を上げると痛みが出てくるんです。
そうなると全く出来なくなるのが、布教活動…
2か月前に書いたこのブログ、読んだ方もいると思います。
このブログの中ではポスティング用ハガキの地図が古くなっているのに、まだたくさん残っていることを書きました。
ブログを書いた後、頑張ったんです。
ところが、あと2日で配り切れる、というところで腰を痛めてしまいました。
今週は身体的には大丈夫そうなのですが、とにかく時間がない。
結局配れないままま、9月25日から天理に1ヶ月行くことが決定です。
さて、神様からのメッセージは何でしょうね。
あせって配っても意味がないよ、ということなのでしょうか。
普段、偉そ~に こんなブログ を書いていますが、正直がんばって考えてもなかなか答えでてこないんですよねぇ…
まぁこのあと1か月間、天理に行くので、そこで何か気が付くかもしれません。
気が付いたら、ブログ書きますね。
身上
この言葉には、2つの意味があります。
1つ目は、身体、体そのものを表します。
天理教では、身体を神様からの借りていると教わります。
なので、「身上をお借りしている」という表現があります。
2つ目は、病気を筆頭に体の変調すべてを表します。
「病気になること」を「
話の中でこの言葉が出てきたとき、どちらを指しているかは、文脈上で解釈するしかありません。
顔(実際の顔、評判「顔が利く」)、足(実際の足、交通手段「足がない」)のような多義語と同じですね。