こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでもらえると反応しやすいです。
今回は自分の頭の整理もかねて書いてみます。
まず、天理教には入信や入会といった規定がありません。
ただし、信仰するうえでは、どこかの教会に所属することが推奨されています。
まぁこの所属についても天理教全体としての規定はないんですけどね...
さて、入信ということですが、過去に需要がなさそうな、こんなブログを書いています。
今回はもう少し「入信」について解像度を上げてみます。
天理教では「入信」という言葉を使いますが、ほかの宗教では「入会」とい言い方をするところもあります。
「入会」は、スポーツクラブや習い事の教室に入るときにも使いますね。
そういったスポーツクラブや習い事の教室に入会すると、定期的もしくは自分の好きな時に行ってスポーツや、習い事をすることができるようになります。
入会しても日常の生活は変わらないですよね。
でも入会することで、「行くことができる」「そこでスポーツや習い事ができる」という権利が手に入ります。
これと同じように考えると「入信」の場合は
という権利を手に入れることかもしれません。
そのうえで目に見える日常の変化は、まったくと言っていいいほどありません。
「信仰することができる」の「信仰」を2つのポイントに分けると、
① 教えを学ぶこと
② 学んだ教えをもとに、物事がおきた意味を自分で解釈すること
になります。
どちらも信仰には大切なポイントです
ちなみに②は前回のブログ「泥を出す方法」で、「悟り」と説明しています。
いったんまとめると「入信」とは
ということになりそうです。
ところで、最初にも書いたように、天理教には入信の規定がありません。
そこで、もう一度、スポーツクラブや習い事の教室の入会を例に考えてみましょう。
スポーツクラブや習い事の教室に入会には、なんらかの「申し込み」が必要です。
でもその前に、「行く意思がある」「スポーツや習い事をする意志がある」ということが前提として必要になります。
つまり入信も同じで
ということが前提になります。
繰り返しになりますが、天理教には入信の規定がありません。
つまり「申し込み」に該当する部分がないのです。
だから結局、その意志があるかどうかしかないんです。
意志があれば入信しているし、なければそうじゃない。
入信は、信じている、信じていない、ではなく、
意志によって決まってくるんです。
最初のほうで紹介した 宗教情報リサーチセンター
そこにある天理教のページでは「入会規定」が空欄になっています。
でも以前は「最寄りの天理教教会または布教所に入信の意思を伝える」と記述がありました。
記述がなくなった理由は不明ですが、こうやってまとめるてみると、やっぱりあってたんだなぁと思います。
そういえば入信については最近のブログ「チョコザップと同じ」にも書いていましたね。
チョコザップみたいに、いつ行ってもいいとなると、それなりに意志がないと続けるのは難しそうですよね。
わたし、たぶん無理です (^^)ゞ
しやんして 心さためて ついてこい
すゑハたのもし みちがあるぞや(思案して 心定めて ついてこい
末は頼もし 道があるぞや)
教祖が書かれた「おふでさき」という本にある言葉です。
ざっくりな意味は
「よく考えて、意志を固めて、信仰についてきなさい。
未来には希望の道がありますよ。」
といったところでしょうか。