こんにちは。教会長の倉橋です。
教会に来たら「会長さん」と呼んでくれると嬉しいです😀
の続きです。
気が付いたら、ずいぶん時間が経っていました。
2つの話では心を水に例えて話をしました。
「①心を澄ます」では
イライラしたりむかついたりしている状態を泥水に例え、時間がたてば上のほうは澄んでくるよ。
なるべく途中でかき混ぜないようにしましょうねという話をしています。
「②泥を出す方法」では
人の心なんて簡単に入れ替わらないから、教えで固めておけ、という話でした。
気になる人はリンク先を読んでくださいね。
さて今回は「底のほうで固まった泥はその後どうなるか?」という話をします。
そもそもですが、心はコップに入っていません。
しいて言えば浮いている水の玉がイメージに近いでしょうか。
だから「底のほうで固まった泥」ではなく「表面にこびりついている泥」といったほうが正しいですね。
で、この「表面にこびりついている泥」は時が経てば、自然と剥がれ落ちていきます。
ただ、何もせず時間が経てば落ちるかというと、そういうわけではありません。
これは「教えで固めてある泥」なので「教えに沿った過ごし方」が必要です。
天理教の教えに、どう過ごすせば良いか、ちゃんと書いてあります。
それは『人だすけ』です。
困っている人がいたら助けてあげてください。
直接助けられないなら、祈ってあげてください。
コップの中の泥水の話をしてあげてもいいです。
そういう時間を通っているうちに、泥はいつの間にか剥がれ落ちているんです。
ちょっと拍子抜けですか?
でも、これが教えの根幹なんです。
下の「天理教の言葉」を読んでみてください。
人をたすけて、わが身たすかる
この言葉は天理教の教えの根幹です。
天理教は
「自分が助かりたかったら、他の人を助けなさい」
という教えです。